「背中で見せる系」発信者でいいじゃない
エンジニアとしてのバックグラウンドを活かし、手を動かして背中を見せる
基本的スタンスについて
まず、自分のスタンスを整理しておく。
自分はエンジニアだ。そして、AI駆動開発を自分の武器にしている。
LLMやAIエージェントを使い倒して、ひとりでも複数人ぶんのアウトプットを出す。コードを書くスピード、設計の解像度、検証のループの速さ——どれも、AIをパートナーにすることで、ひと昔前の自分とは別人みたいに変わった。
この武器を磨き続けること、そして磨いた成果を世に出し続けること。それが、いまの自分の発信のコアにある。
発信はする。でも、ハブにはならない。
最近、自分の発信スタイルについて考えることが多い。
ありがたいことに、誰かに何かを届ける、ということ自体は続けられている。AI駆動開発で得た知見、試したツール、書いたコード、設計の考え方——アウトプットを世に出すこと、それ自体は楽しいし、自分にとって自然な行為だと思う。
ただ、その先にある「コミュニティの中心になる」とか「人と人をつなぐハブになる」みたいな役回りは、自分には向いていない。これは謙遜でも逃げでもなく、単純に向き不向きの話。
オンラインサロンを運営するとか、定例の勉強会を主催するとか、メンバー同士をつなげて場を温めるとか——そういう「コミュニティマネージャー」的な仕事は、本当に尊敬する。でも、自分がそれをやったら、たぶん長く続かないし、自分も周りも幸せにならない。
エンジニアとしての自分の時間は、コードを書くこと、AIと対話して設計を磨くこと、新しいツールを試すこと、そしてその結果をアウトプットすることに使いたい。
無理をしない、できることはやる、できないことは無理しない
これが、自分が自分らしく生きていくうえで、最近たどり着いた結論。
そして、この結論には、はっきりした前提がある。
自分には、息子が3人いる。
朝起きてから夜寝るまで、家族のための時間が大半を占める。ご飯、送り迎え、寝かしつけ、ケンカの仲裁、宿題、遊び相手——書き出したらキリがない。自分のためだけに使える時間は、正直ほとんどない。
だから、無理はしないのだ。
無理をしたら、まず家族が困る。次に自分が壊れる。最後にアウトプットも止まる。誰も得しない。
「無理をしないこと」は、サボることでも怠けることでもない。むしろ、長く続けるための戦略。短距離走ではなく、マラソンを走るための燃費設計みたいなもの。
できることは、ちゃんとやる。手を抜かない。そこには妥協しない。
でも、できないことは、できないと認める。背伸びして頑張ろうとしない。誰かに合わせて自分のキャパを超えない。
これを徹底するだけで、人生が驚くほど軽くなる。
そして、AI駆動開発という武器は、この制約のなかで生きる自分にとって、めちゃくちゃ相性がいい。限られた時間で最大のアウトプットを出すための、最高のパートナーだ。
固定の時間を取られるワークは、自分には難しい
たとえば「毎週この曜日のこの時間に集まりましょう」みたいなワーク。
正直、これがしんどい。
別にその場が嫌いなわけじゃない。むしろ、参加したい気持ちはある。でも、自分の生活リズムや、その日の体調や気分の波を考えると、「固定の時間に固定のパフォーマンスを出す」というのは、自分の苦手領域だと痛感している。
エンジニアとして、コードに集中している時間や、AIと一緒に設計をぐるぐる回している時間は、外から見れば不規則だ。乗っているときは何時間でも続けたいし、乗らないときは離れたい。そのリズムを、固定スケジュールで分断されたくない。
だから、最近は意識的に、固定時間のコミットメントを減らしている。代わりに、自分のタイミングで、自分のペースで、ストイックにアウトプットを積み上げていく。
ストイックにアウトプットするのが、一番自分らしい
朝でも夜でも、平日でも休日でも、気が向いたときに、自分のリズムで書く。コードを書く。設計する。試す。出す。
AIをパートナーにすると、このスタイルがさらに強くなる。深夜に思いついたアイデアを、その場でAIと壁打ちして、プロトタイプまで持っていける。誰かのスケジュールを待たなくていい。会議を設定しなくていい。
人と会わなくてもできる。場所を選ばない。締め切りも自分で決める。
このスタイルは、孤独に見えるかもしれない。でも、自分にとっては全然孤独じゃない。むしろ、誰かのリズムに巻き込まれない自由のなかで、自分の輪郭がくっきりしてくる感覚がある。
そして、出したものは、誰かが勝手に見つけてくれる。共感してくれる人もいれば、流していく人もいる。それでいい。
大きな看板を背負わなくても、プレゼンスは出せる
別に、大きな組織を作ったり、大規模なコミュニティを率いたりしなくても、エンジニアとしてのプレゼンスはちゃんと出せる、と最近は思っている。
たとえば自分の場合は、こんな関わり方で十分まわっている。
個人で受ける、小規模な受託開発
スポットでの技術顧問
セミナーやイベントへの単発登壇
どれも、固定の長期コミットメントを抱え込まずに、自分のスキルと知見を必要としてくれる場所に、ちょうどいい温度で関わる形。
受託開発は、案件単位で完結する。終わればまたフラットに戻れる。技術顧問は、月に数回のミーティングと、必要なときの相談ベース。単発のセミナー登壇は、その日その場で全力を出して、終わったら次に行ける。
このサイズ感の関わり方を、複数掛け合わせるだけで、エンジニアとしての存在感も、収入も、学びも、十分に確保できる。
「大きな何かを背負うこと」と「価値を出すこと」は、別の話だ。
「背中で見せる系」発信者、というあり方
世の中には、いろんなタイプの発信者がいる。
カリスマ的にコミュニティを率いる人
場を温めて、メンバー同士を有機的につなげる人
教える、導く、引き上げる人
どれも素晴らしい。でも、自分はそのどれでもない。
自分は、ただ黙々と、AIと一緒にコードを書き、設計を磨き、アウトプットを出し続ける。それを見て、何か感じてくれた人が、勝手に勝手にやってくれればいい。
「ついてこい」とは言わない。「一緒にやろう」とも言わない。
ただ、自分の背中を——「エンジニアがAIを武器にしたら、こんなふうに動けるんだ」という背中を——見せておくだけ。
それで、誰かの何かのきっかけになるなら、それは最高にうれしい。でも、ならなくても、自分は自分のペースで続けるだけ。
自分のサイズで、自分の速度で
無理をしないというのは、低い目標で満足するということじゃない。
自分のキャパを正確に把握して、その中で最大限のことをやる、という意味。
人と比べない。人の速度に合わせない。人の役割を奪わない。
自分のサイズで、自分の速度で、自分らしいアウトプットを積み上げていく。
そんな「背中で見せる系」発信者も、いていいよね。
むしろ、そういう人がもっといていい気がする。
無理をしないって、案外むずかしい。でも、たぶん、それが一番大事。